七つ井
安祥城二代城主・松平長親(1496-1506)は、連歌や茶道を好み、安祥城近くの良い水が湧くの井戸を選び、七つ井(ななつい)と名付けました。今も残る、その痕跡を辿ってみました。
筒井
安祥城から北東に道を挟んですぐのところにある筒井は、特に良い水が出たと言われています。
1549年の安祥城の攻防で今川・松平軍は勝利し、織田信広(信長の母違いの兄)を捕らえます。そして、織田方の人質となっていた竹千代との人質交換が成立。
岡崎に帰る途中、竹千代はこの井戸水を気に入り、竹筒で持ち帰ったことから「筒井」と名付けられたと言われています。
その後、竹千代は従属していた今川の人質として駿府に送られます。
浅黄井
安祥城のすぐ東の住宅角に痕跡を表す石碑があります。
風呂井
安祥城の敷地、現、安城歴史博物館の玄関近くにあります。
中井
安祥城から徒歩10分ほどの住宅の入り口に石碑だけが残っています。
桜井
安祥城から徒歩15分ぐらいの民家の柵に食い込むように痕跡が残る桜井です。
柳井
七つ井の中で一番発見困難な柳井痕跡。中日トーヨー住器さんの建物脇にありました。快く許可をいただき撮影。
梅井
安祥城から西へ徒歩10分ぐらい、南部小学校のフェンス沿いにある梅井の痕跡です。