丈山苑
譜代の家臣であった石川丈山は安城市和泉町の出身です。
大阪夏の陣の時、先駆けの軍規違反で家康に賞されず浪人となり、その後は学問を究め、後水尾上皇も認める文人となりました。漢詩、書、作庭にも優れ、「鹿おどし」を考案したとも言われています。
和泉町には、隠居後の京都で書斎としていた学甫堂を昭和四四年に移築した丈山文庫や、終の棲家となる詩仙堂を模した丈山苑があります。