歴史八景
二子古墳
古墳時代前期、全長約81mで西三河で2番目に大きな古墳
本證寺
鎌倉時代の創建、一向一揆の拠点となって1563~64年の小川の戦いで家康に敗れて取り壊される。20年後に再建城郭伽藍と呼ばれる遺構の保存状態は全国屈指で県指定文化財
桜井城址
1471年、松平氏の安祥城進出により、松平一族の城となる。松平信定を祖とする桜井松平氏は織田氏に付き、今川氏側にいた松平本家と一時は敵対していた
薬師如来坐像
市内最古、藤原時代末期の仏像
神仏習合で桜井神社に安置されていたが明治期の廃仏毀釈(神仏分離令で廃仏運動が極端化)によって現在の場所へ
薬師堂
安祥城址
1540年の戦いで安祥城は織田氏に奪われそれから9年に渡る松平広忠(家康の父)と織田信秀(信長の父)の安祥城の攻防戦で千名以上が討死した。後にこれをとむらうために13基の供養塚がつくられ、その一つがコロナの前に建つ富士塚である
富士塚
堀内貝塚
縄文晩期のゴミ捨て場も今は貴重な遺跡
すぐ近くから甕棺墓(お墓)も発見されその一つは歴史博物館に展示されている
堀内貝塚
明治川神社
水に縁の深い神、三柱を中心に明治用水開削の功労者都築弥厚、伊豫田与八郎,岡本兵松、西沢真蔵の4人を祭る用水守護の神社。明治用水の開通によって、農業は大躍進を遂げ日本デンマーク、安城の礎となる
明治川神社
安城農林高校
1901年に創立され幾多の農林業界の中心人物を輩出してきた日本デンマーク、安城の黎明期に大きく貢献する